多読と精読、どちらも必要です。
なぜか?
精読は、構文の理解、単語や表現力の吸収・発見に役立ちます。自分以外の人が書いた英文を読んで疑問点を無くす努力は、リスニングに役立ちます。
読んでも分からない英文は聞いては絶対に分かりません。
ゆっくり読んでもピンとこない文章は話し言葉の速さでは処理できません。
だからこそ、通訳を目指す場合、リスニングを伸ばしたい場合、リーディングが必要なのです。
一方で多読も必須。
なぜか?の前に、私の中での多読とは、意味を知らない単語が出てきても文脈から推測して大量に読むこと、です。
なぜ大量に読むことが必要なのかというと、出来るだけ多くの構文や単語と出会う回数を多くすることが、自分の英語基盤を固めることにつながるからです。
当然抜本的に短期間で単語力をつけたいとなったら単語帳を端から端まで覚え直すというのも一つの手ではあると思います。
ただ多読し、何度も目にすることで、自分の中での当たり前に使える、もしくは、認識できる単語レベルが厚くなります。
何度も目にすることで、構文や文法も例えば「分詞構文」というくくりではなく、本の中身を表す手段でしかなくなるのです。
知らない単語が少なくなってくると、英文を読んでも「英文読解」とは違った感覚で、読みながら頭の中ではイメージがどんどん作られていく感覚になります。映像を見ている感覚に近いと思います。
同時通訳する時は、同じように相手の話していることが頭の中で形になっていく、そんな感覚なのです。
最近気を付けているのは、多読は電車、精読は仕事机、と分けること。
精読すると決めたものの場合は、知らない単語、構文の使い方を端から書き出します。受動ボキャブラリーを厚くするための作業です。
自分で通訳する時に使いたい用語集、は別に作ってあります。
受動ボキャブ用のノートは忘れる前提で書き出します。自分で使うレベルの単語ではないから当然忘れますが、一度でも自分の手を使って意味を書き出すことで単語と「知り合い」になれます。「知り合い」レベルだと、出てきた際に思い出しやすいですし、ラッキーであれば覚えています。
聞いたことが全くない単語で「あなた誰?」レベルだと、そのレベルの単語が出てきた「事実」に戸惑い、一瞬頭が真っ白になることもあるのです。スピーカーに入り込んで通訳していればしているほど、突然突き放される感覚になるんですよね。
英語力だけでは通訳勝負できませんが、意表を突かれる要素を限りなく排除する努力をすることが大事だろうと思って今日も構文を書き出しています。地味な作業ですが、学ぶことは楽しいんですよね。通訳者は常にアウトプットが求められているので、インプットが出来ることが栄養であり、気分転換なのです。
そして積み重なれば、自分のアウトプットにいつかにじみ出てくることを楽しみにしています。
先週末も朝から案件が飛び入り。。
タクシーでお化粧するのも慣れてきました。