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通訳者の「知る」

こんにちは

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大昔に話題になったバカの壁(新潮新書)

バカの壁(新潮新書)

今さら手にとりました。

大学受験の現代文を思わせる文章構成と内容で、帰り道にほぼ読み終わりたいというモチベーションでいつも新書は手に取るのですが、電車の中だけでは全く終わりませんでした。養老先生の授業を受けるつもりで真剣に線を引いて読みました。

 

言葉による説明を..否定するわけではない。しかし、それだけでは伝えられないこと、理解されないことがたくさんある、というのがわかっていない。そこがわかっていないから、「聞けばわかる」「話せばわかる」と思っている...

知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日とほとんど同じ世界でも。

 

人の考えを違う言語で再現することが通訳者の仕事、と考えると、考えさせられる点がたくさんあります。

 

自分のこれまで生きてきた脳をもって人の話を普通に聞けば分かると思い込んで、語学だけ磨いていてもスピーカーの意味していることが本当は理解出来ないこともあるし、そうであるならば、通訳もスピーカーの意味していることそのままは伝わらないことになる。

だから通訳者は「知る」という作業はとめてはいけない。

 

そして養老先生が意味するところのバカの「壁」には色々あるのだろうけれど、おそらく一元論的な考え方「コチラ」と「あちら」のことだろうと思います。真実は一つであって、話せばわかると思っていると、分かっているこちら側と分からない向こう側に分断されてしまう。恋愛、宗教、思想、なんでもそうです。

絶対的なことは一つとしてない、と。

 

 

人生、バランスですね先生。